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【比嘉藍子さん】育児ノイローゼも経験。でも今は「子育て楽しい!」
現在、4人の元気な男児(中2、小5、小1、1歳)を育てる比嘉藍子さん。
沖縄で創業60年の餅屋さんを旦那様と共に経営。そのかたわら、地域活動、新聞記者、時間管理術や命のお話(性教育)のセミナー講師など、エネルギッシュに活動を行っている。
今では明るく元気に4人男子の育児を楽しむ比嘉さんだが、沖縄で育児をはじめたころは「外に出る気にもなれない」「子どもと一緒に涙する」ママだった。
友達ゼロの中、子育てスタート
神奈川県出身の比嘉さん。大学卒業後、沖縄に移住。
会社員をしていたころ、もち屋の3代目である旦那様と結婚。
旦那様のもち屋は、沖縄でも自然豊かな地域にあり、沖縄人でもあまり行きたがらない場所でした。結婚当初から2年程は子どももおらず、特に環境の事は気にしていなかった比嘉さんも、子育てが始まると「話し相手がいない」この環境が苦しくなっていったそうです。
「結婚前に住んでいた地域には友達もたくさんいる。でも、赤ちゃんを連れて気軽に行ける距離でもなく。まして独身の友達と子連れで会うハードルは高かった。」
少しのお出かけも、夜逃げか!というくらいの荷物を持っていく。何が起こるか不安だから。周りに迷惑にならいように、と気を使うから。
実家(神奈川)には半年に1回程度帰省できていたけれど、引越しでもするかのような荷物を持ち、周りに気を使いなら飛行機に乗っての移動はとても辛かった。
どんどん、すべての外出がしんどくなり、家から出られない状態に。
育児ノイローゼに
今でこそ、支援センターにいけば話し相手がいる、とわかるけれど
あの頃は、そんな場所があるという「うわさ」程度にしか知らなかったそうです。
もち屋の3代目として働く夫はそもそも超多忙。ほとんど家にはおらず、家にいてもスマホを見ているだけ。
一緒にでかけよう、遊びにいこうという気持ちになれなかった。とにかく友達がいませんでした。
一日中、だれか言葉を話せる人間とちゃんとした会話をすることもなく
泣いている子供を見て「なんで泣いてるの、、」と自分も泣いていた。
なにをやっても不安。なにをやっても涙が出る。
この子さえいなければ、、という所まで追いつめられるほど。比嘉さんは育児ノイローゼになっていました。
正社員に復帰・夫婦関係は険悪に
第一子の子育てにまじめに向かい合うがあまり、育児ノイローゼになってしまっていた比嘉さん。
そんな中、長男君が2才になった時、休職していた会社に、短時間雇用の正社員として復帰します。
そのころ、世間では「時短勤務」が制度化され、比嘉さんも「勤務は6時間」という約束で復帰。
でもいざ働き始めれば勤務は12時間!始まったばかりの制度で、会社が悪いわけではなく、みんなが手探り状態。どこの会社もそんなもので、ママの働く環境は劣悪だった。
比嘉さんはお仕事が好きだったそうです。だから、時短勤務がかなわなくてもがんばっていました。
でも、保育園からの呼び出しは多い。おのずと、旦那様が家事育児にかかわる時間が増え、
旦那様は「なんで俺が?」状態。
一方の比嘉さんも「二人の子どもでしょ?」「私はこんなにやっているのになんであなたはしてくれないの?」とイライラが募る。
お互いに言葉の暴力が絶えなくなってしまったそうです。
「夫は私と顔を合わせないようにしていた。子どもの前でも夫婦げんかしていた」
そんなことをしていると、長男くんは3歳のころ、夜中に起きだして泣き始めるなど、精神不安定になる時期があったそうです。
離婚すると決めてから、関係を修復
「離婚する!と親にまで電話しました。でもそこから色々あって関係を再構築すると決めました。」
「もう自分が変わるしかない」そう思ったそうです。
ちゃんとしたきっかけは覚えていないけれど、相手が悪いんじゃなく、自分の捉え方次第だと気づいた。
そう思うと夫がいることに感謝できるようになってきた。だんだんと変わっていきました。
自分の家事の基準が高いこともわかって、相手に同じことを求めないようになった。
「結局、いやな女だったんですよ~私はこんなにやってるのに!って言ってね。」
今では夫に預けて、子どもたちが生きててくれる、ありがとう!という基準になった。
ショッピングモールでも自分なら四方に散っていく子供たちを一生懸命追いかけていたけれど、夫は子供たちが離れていくことすら気づかない。すると、子供たちが勝手に夫についていくようになっていた。その姿を見た近所の方から、「子供たち、ちゃんとついて回ってえらいね~」と言われて、比嘉さんは「自分は子供たちを干渉しすぎていた、コントロールしようとしていた」ことに気づきました。
4人産んで、気づけたこと
今では子育てがめちゃくちゃ楽しい!と笑顔でおっしゃる比嘉さん。
男子4人。自分が想像もしない行動をする。男の子だから?魂がピュアでそれを感じながら子育てできてるのがとっても楽しい。歳の差があるから、ひとりひとりその年代を堪能することができている。女として出産育児を経験できていることが幸せ。
二人目以降、物理的に「手が足りない」ことに気づき、大人にとって都合のよい子として育てることを手放した。「努力すればかなう」「がんばればできる」「みんなと仲良く」なんて無理。
同じ親から生まれても、全員違う個性。ひとつも思い通りにいかないのが子育て。育児本を読んでも正解はない。お母さんが日々やっていること、子どもと向き合っていること、すべてが正解。
「長男くんは発達グレー。今でこそ語りかけや承認で、本人はいきいきとしてる。あのままの子育てをしていたら今どうなっていたかわからない。」
女性のキャリア継続について
比嘉さんは第2子出産までは会社員。名前だけの時短勤務、夫婦関係の悪化を経験して、女性が会社員を続けるのは難しいと感じたそうです。
やりたい!だけど「続けられない」現実がある。辞めてしまえば、正社員には戻れない。今となっては「未就学児の乗り越えれば何とかなるよね!」と思えるけれど。
「今はもち屋として雇用する側になったからわかるんです。やはりママを雇用するのは難しい。女性がキャリアを継続する難しさは今も変わらない。これは国家プロジェクト!」
お母さん自身が自分を大切にして
温かい飲み物を用意すると、なぜか子どもが泣きだして、口に入れるころには冷めてる。うどんものびのび。トイレにも行けない。それがお母さんたちの日常。
子供と向き合うのも大切。でもなによりお母さんが自分自身と向き合って「自分自身を大切にすること」。こどもが中心の生活で、自分は何が好き?なにをしたい?どんどんわからなくなる。そのうちに、自分の中の本当の自分もひねくれちゃう。
だから、毎日話しかけてあげよう!自分自身に。結局それがいちばん大切だと思う。
すべての経験を通して感じること
お母さんになって経験しなければわからないことばかり。
子供ができてから、新しい人間関係を築くのはとっても難しい。支援センターに行ったとしても、すでに輪ができたりしていると、仲良くなるにはハードルが高い。まじめに生きてきた、仕事をバリバリしてきた女性は特に「努力すればかなう」「がんばればできる」と考えがち。でもそれがまったく通用しないのが子育て。「ねばならない」「であるべき」を手放そう。子どもたちが個性を活かして人生を楽しんでくれたらそれでOK!自分を押し殺してまでなにかをしてほしくない。
育児ノイローゼや夫婦関係の危機など、たくさんの経験を乗り越えてきた比嘉さん。いまは育児に対して
「このかわいさを味わわせてくれてありがとう感謝だな~」「子育てをしないのは損」と思っているそうです。
あとがき
比嘉さんは辛い経験や思い出も、終始笑顔で楽しく語ってくれました。「いまだから笑って言えるけどね~」と前置きをして楽しくお話ししてくれる姿は、とてもたくましく愛にあふれ、お母さんそのものという印象でした。比嘉さんの言葉に影響されるように、シェア会にはたくさんの共感コメントが寄せられています。子育てや夫婦関係のお話だけではなく、女性のキャリア継続についての話題にもふれた今回のシェア会。「仕事が好き・仕事をまじめにやってきた女性こそ、子育てでつまづく」という観点も経験者だからこそストレートに伝えられるポイントだと感じています。
2024/05/05
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